2021年2月2日 更新


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日本手話学会第42回大会

2016年12月3日(土)・4日(日)

タワーホール船堀(東京都江戸川区)

 

【基調講演】

Sign Language Studies in Indonesia: The use of pingky finger in Jakarta Sign Language

Iwan Satryawan Setyohadi (Sign Language Research Laboratory, Department of Linguistics, University of Indonesia)

 

【研究発表】

日本語対応手話は自然言語であるべきか:日本語対応手話(手指日本語)を言語学的アプローチで見た一考察

川口聖(関西学院大学手話言語研究センター)

日本語対応手話(手指日本語)について、これまで数多くの文献で指摘されているとおり、日本語対応手話擁護論や中間型手話などで、日本語対応手話の存在を学術的に示唆されたり、ろう教育の現場において、日本語対応手話活用の重要性が唱えられたり、一般社会においても、日本語対応手話はクレオール言語であるとか、自然言語であるなど、まことしやかに主張したりする人が目立っている。そこで、日本語対応手話は、学術的で言語学的分析の対象になるべきである自然言語にふさわしいかどうか検証する。

 

手話習得過程における補完的学習法の検討:手話学習者の手話習得に対する自信度の調査研究

繁益陽介(筑波技術大学大学院情報アクセシビリティ専攻)大杉豊 (筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター)

本研究は日本での公費による手話教育の一環である手話奉仕員養成講座基礎課程修了予定者を対象に、手話学習者の「個人の特性」および「学習動機」、「学習方略」、そして手話習得に対する自信度について質問紙調査を実施したところ、サンプル数が少ない点で課題はあるものの、学習方略が手話学習者の手話習得の自信度に対する影響を及ぼしていることが示唆された。

 

日本手話言語における指さしの分類:視覚モダリティとしての指さしとは何か新しく提案する

川口聖(関西学院大学手話言語研究センター)

手話言語の指さしについて、これまで数多くの文献で指摘されている通り、日本手話言語において指さしの使い方は多種多様である。しかし、聴覚モダリティの音声言語の言語学的分析に合わせているため、ますますわかりにくくなっているきらいがある。そこで、視覚モダリティの手話言語に合った言語学的分析として、意味論及び語用論的なアプローチを用いて、指さしについて新しい分類を提案する。

 

ミャンマー手話のNMs:ミャンマー手話疑問文を分析して

中山慎一郎(日本手話研究所)

本研究は、筆者が初めてミャンマー手話と接したときに、MS (1)は全く違うものの日本手話との類似点があると感じたことがきっかけになっている。その後、ミャンマーろう者と接しているなかで、類似点はNMs(2)およびMSとNMs の重層表現(3)のルールにしぼられてきた。世界中のネイティブサイナーの会話を注意深く観察すると、例外なくNMs を駆使して会話していて、NMs が手話において重要な機能を担っていることがわかる。しかし、欧米の一部の国の手話を除き、各国の手話におけるNMs の役割や性質については十分に解明されているとはいえず、NMs の果たす機能について明確にする必要がある。

 

日本手話にみられる変種と言語変化:東京と大阪における数詞・色彩・親族・生活基本語彙を対象に

相良啓子(国立民族学博物館)

本研究では、東京と大阪、それぞれの地域で使用されている手話語彙に着目し、どのような表現があるのか、また、どのような通時的変化が生じているのかについて、文献記録から得られる情報および実際に使用されている手話データにもとづいて分析を行う。また、それらの変化と、台湾手話における台北と台南の表現の違い、および台湾手話にみられる語彙の変化がどのように関連し得るのかについて考察する。

 

日本手話の言語構造の考察:動詞「行く」と「とぶ」を中心に

伊槻 悟

私の手話が通じにくいのは、手話を日本語で考えているからと思い、言語の違いを明らかにしたいと思った。手話は3 次元言語であり、音声は1 次元である。音声言語とは違う手話の言語構造を知るために、動詞表現を考察する。手話言語の音韻パラメータを松岡(2015)は「位置、手型、動き、掌の向き」であると述べているが、本稿では、動く方向も考察することとした。本稿中の<>は手話単語を意味する。まず、音声日本語の動詞「行く」「とぶ」を取り上げ、手話の言語構造を考察する。次に、「行く」と「とぶ」の手話の一動作表現の意味・内容を考察する。さらに、一動作表現は単語といえるのかを考察する。

 

文末詞「いみ」の作る日本手話の複文構造

黒田栄光(NPO 法人日本手話教師センター)原千夏(NPO 法人日本手話教師センター)高嶋由布子(日本学術振興会/東京学芸大学)

本発表では、日本手話の文末詞「いみ」がどのような意味の文で出現可能であるか分析する。結論として文末詞「いみ」は、「朝、道が濡れていたのは、昨夜雨が降ったからだ」のような、ある状況の叙述P(朝、道が濡れている)の理由を説明する文Q(昨夜雨が降った)の文末につく標識であり、複文を構成するマーカーであることを提示する。直接経験した事実である状況P に対し、理由Q は基本的には確認された事実でなければならず、事実としての因果関係を提示する用法が基本であり、論理構造を示す接続詞であると考えられる。また、「白髪が増えたのは、年をとったからだ」の後件のような、ニュアンスとして〈絶対そうである〉といった〈決めつけ〉を提示する用法もあることを指摘する。

 

日本手話における二重表現:解説文を題材とした予備的研究

遠藤栄太(香港中文大学大学院)

自然言語では「形態統語的素性、形態素、語、句などの構成素が2 回以上表現される構文」がしばしば見られ、二重表現(Doubling)と呼ばれている。手話言語でも、アメリカ手話で動詞のサンドイッチ構造が観察されている。日本手話では、指さしの二重表現が指摘されているものの、未解明な点が多い。本研究は予備的研究として、坂田他(2008)のDVD 手話映像の説明文に、動詞や形容詞など様々な単語の二重表現を確認し、今後の研究の可能性を示唆している。

 

RS再論のための予備的議論:言語一般における「引用」現象への接近としてのRS

森 壮也(JETRO アジア経済研究所)

市田(2005b)は、動詞の一致現象を手がかりにRS に行為型と引用型の二種類あるとした。本稿では、數見・森(2012)に引き続く議論として、RS を手がかりにこの市田の議論を検証すると共に、この枠組みの限界と問題点を指摘する。

 

手話言語と因果表現:手話言語特有の世界了解をめぐって

髙山 守(東京大学)

私たちは、この世界に起こることには、すべて原因があると考える。すなわち、私たちの世界は、根本的に因果関係で成り立っている、つまり、とにかくもすべてについて、まずは原因があり、その原因によって一定の結果が引き起こされるという構造になっている、と。しかし、実はそうではないのではないか。因果関係というものは、実は、単に、私たちの内的な気持ちの表現なのであり、客観的には(事柄としては)存在していないのではないか。こうした私たちの世界の客観的なあり方を、実は手話言語が正確に表現しているのではないか。本発表は、こうした問題設定のもとで、考察を進める。

 

洋学資料における「態」概念の照射

末森明夫 高橋和夫(日本聾史学会)Corrie TIJSSELING(Utrecht University)

近世後期の蘭和・和蘭辞書『江戸ハルマ』『訳鍵』『長崎ハルマ』や英和・和英辞書『和英語林集成』に採録されている「態」語彙および「聾」「唖」語彙の緝輯をおこない、近世日本語における「態」語彙が「仕方/仕方話」「態語」「手容」「手真似」など多岐に渉る他、近世蘭語 [stommetje] が「態」概念を包含することを明らかにした。次いで「態」語彙の意味論的ないし類型論的考証をおこなうことにより、「聾」「唖」「態」概念編制の動態的重層化の可視化を図ると共に、「聾」「唖」「態」概念編制史誌の射程の外延を図った。

 

手話法の実証研究に資する史料の排列及び適用:歸唖初學(オシニカヘレウヒマナビ)

岡本 洋

本邦では嘗て僥倖にも手話教育を以て始動したが途絶して以降、口話教育が依然として持続している。口話生とその関係者には想像の埒外にある手話法の実態が問題となるが、各方面で史学的な整備が遅々としている現状に鑑みて些少乍らも存在する史料を用意した。無論そこには精疎があり、時に応じて内容的に益する史料を採択し併せて遺された可能性を極力追究して行く事が肝要。そうする事で手話生と口話生の相違や共通部分等、特に統語的な観点を重視した研鑽が可能となる。錯綜した手話と口話が織り成す綾と錦を解きほぐす試論が断片的に終わると雖も、共有課題とする可く各機関各人との連携をも長期的視野や計画の起点で進展しなければならない。

 

手話生の史料学事始め:「睦ニュース」に見る、栗山カノ女史の手話を通して

岡本 洋(関東聾唖史研究会)

手話時代の事象を手話学の各領域で微細に検討するには前提条件となる史学的裏付けが一定上の分量で確保され、それを基点に進めて初めて得られる知見を積み重ねるのが最善であり、それを逐次敷衍したい。当時受けた教育の反映が手話生と口話生の言語景観に於て如実に顕れ、生活の基盤となっているが、手話生を記録した物は僅かであるし正面切っての調査研究も殆ど見当たらない。それは手話生との面会又はその史料が「容易」には得られない事に起因する。更には両生間の断絶が大きく影響した。手話生を直視し学術的に分析して行く事が言語の本質や核心等に迫れる足掛かりとなろう。全般に寄与する映像を紹介する。小西信八が在職中の尊い遺産である。